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s/magazine 2016年1月

今月の花「梅」 花言葉 高潔 上品 忍耐 忠実



平成28(2016)年 丙申(ひのえさる)閏年にお届けする四字熟語です。
僅か4文字に秘められる人生の奥深さや真理。「未(ひつじ)辛抱」の一年を終え、新たな年を迎えた心に期する四字熟語です。

省みる昨年と、新たな年を迎えた現在の心境は、一大事として来た積年の課題の解決をみて すっかり気持ちや心を良い方に入れかえることの「心機一転」以外にないと、披露させて頂きます。
本年も、けしてなにごとも受身とせず「より公私ともによい年にするのだ」との新たな決意で努めてまいりたいものと思っております。
 

この一年、皆さまにとりましてご健勝にて、実りある充実の毎日でありますようお祈り申しあげ、旧年同様よろしくご交誼、ご指導の程お願い申しあげます。

平成28年元旦

塩原 勝美


 
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浅草散歩みち
長雨が続き、関東や東北地方などの一部に、甚大な被害を与えた様子を知ることになる9月12日の日曜日の午後に、いつものように散策に出かけました。
隅田川に架かる吾妻橋の一方は墨田区です。そこはスカイツリーへの道筋で、多くの人達が通行しております。広場ではイメージキャラの「あずちゃん」が子供たちに大人気です。

 

橋を渡り浅草方面に向かいます。想像していたとおり隅田川は水かさを増し濁っていて、ときどき上流からの雑物が流れて来ていました。隅田川テラスに降りてみますと、あれだけの豪雨で遊歩道と花壇の砂が水生植物のゾーンに流れ込んだ様子が伺い知れます。
  

今回は趣向を変えて、浅草観光で庶民性豊かな飲食店街をウオッチいたしました。
こちらに転居して、浅草を散歩がてらウオッチして、早や1ヵ年になりますが、少し驚かされ、また感動したのは昔ながらの居酒屋風景があること、それに新しい形となる軒先をめいっぱい活用した、路上店の昼間からの繁盛ぶりでした。
公園本通りには両側に写真のように居酒屋が軒をつらねて、大変な混乱です。外国人の家族連れも見られます。
この昼間からの賑わいの理由の一つは、近くに場外馬券売り場(WINS)があることと、普通の居酒屋のように夕方
5時からの開店を待つこともなく多分、昼前からオープンの安直さが受けていることだと思いました。
結婚式の帰りの人達もいます。皆さん大いに飲み、かつ食べておりました。 
  
 

その場を少し離れて印象深い「初音小路」に向いました。なによりここを特筆すれば、藤棚のある飲み屋街と云うところだと思います。ここの地域の風情は先程の公園通りと違い静かで、下町の浅草とはこんなところと教えてくれているようです。
近くは駐車場も多く、再開発でここも遠くない日には消滅するかも知れません。

 
  


帰り道は浅草寺境内を通りました。この日は「きものの日」とのことで、和装の人が散見されます。また現代版の行燈が据えられて夕暮れどきは多分きれいだろうと思われました。
  

 
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浅草散歩みち

前月8月号で「吾妻橋を渡るとすぐ「水上バス」の乗船場があり、これも好天に恵まれた今日は、乗船の順番を待つ人が外から伺い知れます。」とレポートしました。
8月2日(日)の昼過ぎに、同じように「水上バス」の乗場を見ますと、ガラ空きで
本日は休業かな?と思いましたが、多少の人影が見えます。ビルの玄関に立ち入りチケット売場をのぞきますと、嘘のように人影もまばらです。出発時刻を確認して浅草から日の出桟橋間の往復チケットを購入して待合室に入りました。


いつもは隅田川テラスを散策しながらの一時ですが、クルーズ船からの両岸の風景は大東京・ベイエリアの一辺の様相をリアルに表現しているように感じました。
 
船内の人たちはもちろん観光客の方ですが、当然の如く数多くの国からの旅行者ばかりです。 
途中、浜離宮を経由し日の出桟橋で折返し、帰りは川を上り、いくつもの橋を潜り大よそ2時間程のクルーズツアーでした。


処暑の8月23日の日曜日、雲天で、雷雨でもありそうな昼すぎ散歩に出かけました。久しぶりに仲見世を歩いてみたいと思いました理由は、数日前の何気なく見たTVのバラエティ番組で、浅草仲見世で一番安い2箱500円との人形焼屋さんがルポされていたからでした。そこで事実かしらと疑念がわき、実際に自分の眼でみてみようと立寄りました。 
店頭での買物客は数多く、POPも2個500円とあり、その脇で自動化された機械で人形焼きが作られております。
のぞきますと、本当に包装の最終行程まで見事に自動製造されている実態でした。
 

通りを少し行きますと浮世絵、美術工芸品の作品を売る酒井好古堂の店舗がありました。
  
2年前まで神田淡路町に事務所がありました頃、近くの外堀通りその本店があり、私も多少とも関係者と交際したことがあり、その方は長野県松本市にある国際浮世絵博物館の館長として赴任していったことを思い出しました。

そしてその通りを進み、終りに近くなるところで、浅草寺御用達 老舗木村家と看板が目立つ同じく人形焼き製造販売している店舗がありました。
  
こちらは男性の販売員も多く、その脇で職人が手焼きの昔ながらの手法で焼いており、価格をのぞきますと一箱500円とあり、価格は倍ですが何か美味しそうな気がいたしました。

仲見世の通りは本当におみやげ屋さんが沢山軒をつらねております。但し、一歩通りをはずれると普段余り見られない浅草ならでのお店も発見できます。かんざし屋さん、てぬぐい専門店、珍しいのは小動物のウサギとの一時を過ごす店のガイドもありました。
  

散歩していると色々な場面に遭遇します。植込みに入り、静かに読書する人。母子地蔵尊の像の前で、一心にハーモニカを吹く人。観光に疲れ果て敷石に座り込む人などです。最近話しに聞きましたが、浅草寺はどこの宗派にも属さない独自のスタンスの寺院とのことです。いくら観光スポットと云いながらも、これだけの外国人の方々の観光客が次から次への押しかけることは、本当に驚くと共に凄いことだと思っております。
   

新聞紙上で「インバウンド」「爆買い」と耳目を集めています。それは来日旅行者の大量にまとめ買いすることを意味する俗語ですが、私の事務所が秋葉原に近いこともあり、観光バスで乗り付けての中国の旅行者に、その風景をしばし見ることがあります。ある日、東武浅草駅の上のデパートの100円shopで「爆買いとはこう云うことです」との現場を目の当りにしました。
西欧人とおぼしき女性3人がshop店内で、ダンボールを囲み大作業をしておりました。しばらく私も買い物を兼ねて観察していましたが、少し時間を経て見ましたら荷車を押してエレベーター待ちをしていました。デパートの地下にヤマト便のお店まで運ぶのでしょう。爆買いは中国人の専用のことばではないと感じました。後日、同店は閉店していて、何があったのかと不思議な心もちです。
  





 
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浅草散歩みち
 7月11日(土)に浅草散歩を致しました。10日程続いた雨模様がようやく好天となり散歩日和です。
 吾妻橋を渡るとすぐ「水上バス」の乗船場があり、これも好天に恵まれた今日は、乗船の順番を待つ人が外から伺い知れます。川を上って来て到着し下船する人、これから乗船する人、満席になって出発するモダンの観光船。全て夏の風物詩にふさわしいワンシーンです。

  

 9日、10日と浅草ほうずき市が浅草寺境内で催されていると知っていましたが、都合で行ききれず、翌11日の昼すぎに様子をのぞきに行きました。しかし残念ながら後片づけの最中でした。
    

 境内は相変わらずの混雑で、外国人観光客であふれかえっております。大人数の団体で行動する中国人、夫婦ずれや少人数の欧米人の行動パターンがそれぞれあります。
    

 境内で今回初めて気がつきましたのは、「三波石の園」でした。
碑をみますと郷里の「群馬県多野郡鬼石町に産出する 天然記念物で有名な名石三波石が ダム建設により沈むのが忍びなく 有志の方が群馬県知事の許可を得て 3石を譲り受けて 厚く信仰している観音様に感謝を持って寄贈し これを配置した園圃を設置し、三波園と名付け、永く後世に伝える 昭和40年1月吉日」とありました。 
     

アーケードでは、はやっている店は飲食店。観察して分かりますが、全く客足がないのは従来の伝統的な舞台衣装、古物商その他で、それこそ閑古鳥が鳴いてこれも時代の流れと感じざるを得ませんでした。

奥山通りの入り口に工事を終えた交番が見られました。世界的に有名なKOUBANで警察官が詰めていましたが、国際的な観光地浅草ですから語学が堪能なのだろうと思いました。

 

 六区に入り歩を進めていきますと、繁華街はパフォーマンサーが散見されます。考えますにこのような人達はどのように組織され、営業的に採算や個人の収入はどうなのだろう?と興味を感じます。 
初めての人は驚いて歩を止めますが、いわゆるご祝儀を与える人は余り見たことはありません。この六区の総元締めの会社とどのような契約になっているのか、全く不思議な商活動だと思っています。通行がかなりある中ですずめや鳩がその中を動き廻っていることに驚ろかされます。それは必ずや浅草メンチなど立喰いの出店の人だかりのなかにいます。人を怖れずエサを確保する行為なのです。心なく踏みつける人もいず、彼等の生活の術なのでしょう。

     
     

6月末の休日に台東区竜泉3丁目の区立「一葉記念館」に行きました。かって一度散歩がてらに同館をめざしましたが、道に迷ったことで今回はよく調べて循環バスに乗りました。
      

 平成18年に一葉が「五千円札の肖像」に採用されたのを機に、改築され新記念館が完成したとあり、立派な建物でした。館内に入りますと、ボランティアの方による1階のライブラリーギャラリーで資料説明がありました。資料はよく整理され自筆の「草稿」「書簡」は見応えのあるものでした。僅か24年間の一葉(本名は奈津)の生涯の内、いわゆる「奇蹟の十四ヵ月」と云われる間に多くの作品を著わしたことを知ることが出来ました。
 一葉は長兄と父の死去で、女戸主として母と妹三人の家計を背負うことでの生活苦から、小説を書いて収入を得ようとすることが発端であること、竜泉時代には荒物駄菓子店を始めたり、生活苦との悪戦苦闘のなか、肺結核による逝去はなんとも痛ましく、重いものを飲み込んだ気持ちにさせられて、館を後にいたしました。

     
    



 

 
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浅草散歩みち

 前月号は浅草のまちの長い歴史を感じるもの、面白くユニークなサインや看板そしてオブジェをウオッチングしました、
今回はその2です。 
 6月6日(土)の午後、いつものように浅草のまちに歩を進めました。そして浅草寺の奥の浅草花やしきの近くのひさご通りにある、台東区立江戸下町伝統工芸館に立寄りました。

 ここしばらくサインや看板をウオッチングしているわけですが、不思議かつ面白いもので、全く偶然なことに、その館の1階オープンスペースで特別展「看板彫刻展」福善堂の4代目坂井智雄さん(平成26年 台東区優秀技術者)の実演手彫看板の作業風景に出会い、しばらく見学させて頂きました。
( http://www.interq.or.jp/tokyo/fukuzen/ )
 

  機械生産の作品とは、ひと味もふた味も違う温かみがある看板制作を目のあたりにして、「ものづくり」の素晴らしさと、その技術の深さを感じておりました。店舗の顔となる看板はもとより、寺社仏閣などに掲出される扁額(へんがく)までの卓越した技術に、時を忘れ見入っておりました。

 TVで大阪道頓堀川の風景が放映されるたび、動く
かに看板が必ずアングルに入ります。いわば道頓堀のシンボルのひとつと云うところだと思います。
浅草近くでもスカツリー方面からの吾妻橋のたもとにあるタワーマンション2階に、同店の吾妻橋店があります。去る2月のある日「ただ今リニューアル中」の布に覆われたかにの看板がなぜか痛々しく、寒風のなかに在り、気になりましたので撮影しておきました。2ヵ月程で完成しましたが、新しいカニは艶やかで新鮮さが見立ちました。

 

 地下鉄浅草駅の松屋口から地上に出ると先ずこの看板が目に入ります。東京メトロのシンボルマークは別としてこの看板のデザインや文字のレイアウトは上京後初めて見た、はるか昔と変化が無かったような記憶があります。ちなみに地下の浅草地下商店街に下りてみますと、相変わらずの乱雑さと暗さ、独特の臭いがあります。多分半分程の商店しか営業している店舗はありませんが、昔の浅草らしい風景と雰囲気を感じます。
しかし、私の通勤路の地下鉄神田駅にある東京で初めての地下街の店舗も次々に閉店し、明け渡され、本年8月末まで新たな装いのため工事中ですが、同じようにこの地下街も姿を変えることになることでしょう。


浅草雷門の右隣りの三定(さんさだ)。創業天保8年(1837)の自称日本最初の天麩羅屋さんです。名物の芝海老とイカ、小柱のかき揚げ。正面の看板は迫力がありました。


伝法院通りには、歌舞伎でおなじみの白浪五人男のオブジェが様々な場所と形で出現しています。面白いと思ったのは下駄を履いてビルの駆け上がっているように思える神出鬼没、忠信利平(ただのぶりへい)でした。
また鼠小僧も呉服屋の屋根に千両箱をかかえています。昔に千両箱は約20坩幣紊△襪畔垢い燭海箸ありますが、詮索は野暮と云うところです。
 
その通りには、趣味の呉服・踊り衣裳の「やまとみ」そして「よのや櫛舗」看板が印象的です。
 

そしてこの通りの街燈として地口行燈(じぐちあんどん)が江戸時代をしのばせます。netで調べてみますと、地口とは江戸時代に流行したいわば酒落ことばで、ことわざや成り句、芝居のせりふなどをもじって洒落をつくったもので、それを行燈に書いて祭礼などに競って飾る。というのが江戸の風習のひとつとのことです。


 まちなかを行きますとちょっと「?」を感ずる看板がいくつかあります。鉄板焼き・串焼の「豚とことん」もその一つで、昭和八十四年とありました。カレンダーで調べますと平成21年です。7年前にオープンしたと云うことでしょうか。また昭和の元号にこだわりがあるのでしょうか。
その先に「わけあり本舗」とありますが、妖しさ、如何わしさに店内に入る気持ちは失せますが、中国の人達の買いもの(爆買)を期待しているのでしょう。
 

新仲見世通りに東京名物と大きな文字があるレストランのじゅらく(聚楽)です。
和・洋・中・デザートと本当に品数が多く、訪れる昔の観光客は東京名物で誘われて入店したのでしょうか。次の機会にお店に入り東京名物とは何かを知っておきたいと思いました。




 
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浅草散歩みち
 お天気に恵まれた休日は、日頃の運動不足を補うため浅草のまちを興味本位に歩くことにしています。今回はその折の、長い歴史を感じるもの、面白くユニークなサインや看板をウオッチングいたしました。(今回はその1です)
かって作家 故山崎豊子氏の処女作「暖簾」を読んだ折の一章に、正面の屋根に古木に金文字に「浪花屋」(なにわや)と浮き出した大看板が夕陽に映えて…  とありました。浅草のまちは商いのまち、歓楽街、庶民の息づくまちとして長く続いて欲しいと思いつつのウオッチングです。
 
 未だ半年ちょっとの休日のまち歩きですが、時代の変化とともに、浅草でのお店の入れ替わりは少しづつ感じられます。それは商いの流行り廃れもありますが、商店主の年齢のこともまた同じだと思います。ですが、せめて浅草のまちの本来の良さが失われないように願っています。


1 墨田区吾妻橋たもと 佃煮鮒五 明治27年(1894)ことのほか「浅草寺御用達」の文字がこの土地柄で珍しい。


2 吾妻橋交差点、神谷バーの隣り増田園(ますだえん)明治元年(1867)茶とのりの店、店頭でソフトクリームも売っていた。


3 雷門に向って右真横 黒田屋本店 安政3年(1856和紙を使った商品、版画や張り子人形など取扱っている。


4 雷門通り 鰻・日本料理 川松本店 明治初期(1870年代)鰻登りの色紙は価格のことかもと錯覚。 英語、中国語のガイドが国際的。


5 雷門通り 音のヨーロー堂 大正元年(1912レコード店    店名のロゴデザインは浅草在住新進気鋭のチーボヲイさんとのこと。


6 浅草1丁目メトロ通り 組紐 桐生堂 明治9年(1876浅草の江戸組紐の専門店


7 浅草公園通り 澤田屋ビル “元大衆割烹 澤田本店 此所に在りき”のコピーは、都心に見かけられる「数寄屋橋」「今川橋」などの記憶がある。


8 雷門中央通り 蒲焼和田平 明治18年(1885店頭に“どじょう”の生けすがあり、通行人の皆さんが珍しそうに覗いていく。


9 浅草食通街 すし処房寿 入口ドアのガラスの貼紙。負けるが勝ちは夫婦円満のかたち。


10 たぬき通り 渡邉眼鏡商店 明治20年(1887現代と違い当時としての眼鏡は高価の品だったと思う。


11 新仲見世通り 酒冨士本店 ショーウィンドの中に昭和33年(1958頃の写真が飾ってありました。


12 浅草二丁目交差点の伝法院通り入口 中村屋本店 明治43年(1910煮豆、乾物、珍味の販売                    
    (次月 その2に続く)

 
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浅草散歩みち
◆桜の季節の浅草散歩みちは、イベント編です。
これまで私は休日に浅草のまちを散策して来て、本当に興味深いまちだとの認識を新たにしております。
4月の半ばの快晴の休日、いつものように午後から散歩に出ました。浅草寺境内での平成中村座がオープンしたとのことで、その様子を見るのも一つの目的でした。
 





工事中に鉄骨が組まれ、その後シートで覆われたりして来ましたので、三年前亡くなった人気歌舞伎俳優の中村勘三郎さんの思いの、江戸時代の芝居小屋の建物の完成がどんなものだろうとの興味からでした。
その途中の境内では沢山の人だかりでした。後からのぞいてみると「白鷺の舞」のイベントが進行しておりました。 
ガイドによりますと
43年(1968)の「東京百年祭」を記念して創始奉納されたのが「白鷺の舞」です。京都八坂神社の祇園祭の「鷺舞」を参考にして、「浅草寺縁起」の遷座式に登場する「白鷺の舞」を再興したものです。「白鷺」「武者」「棒ふり」「大傘」「楽人」や浅草寺幼稚園による「守護童子」などにより構成される美しい舞です。 とのことでした。


5月の三社祭、11月3日にも催されるとのことで、機会を得て前の方でしっかり観賞したいと思うほどの、平安時代の風稚を現代に伝える見応えのあるものでした。

そこから事前に知っていた浅草観音うら一葉桜まつりの催されている一葉桜、小松橋通りに移動しました。前日は雨天で順延となった会場にはパイプ椅子が置かれて、13時からの江戸吉原おいらん道中を待つ人で溢れています。周辺の街路の両脇には八重桜のイチョウ(一葉)130本が植えられて、大ぶりのピンクの花を咲かせております。









このイベントは私は初めてで要領が分らず、窮屈なパイプ椅子に座っていますが、近場の花やしきの少女のショーや神楽の芸など見ているうちにおいらん道中がゆっくりと通過して行きます。 
 














なにせ着席している人も皆さん一勢に総立ちになり、カメラワークが定まりません。この後のプログラムでは色々催しものが予定されてるとのことでしたが、人いきれでことの他疲れましたので席を立ち、ほど近い今戸神社に立寄りました。












予備知識も何もなく訪れましたが、若いアベックや女性だけの連れだちが多く、そして飾られている丸形の木札に書かれた文字から縁結びの神社なのだと分かりました。ガイドを見てみますと「招き猫発祥の地」「沖田総司終焉の地」とのことも知らされました。

当地に転居して7カ月近くなりますが、本当に浅草には色々沢山の催事や行事が行われていると知らされます。

◆去る4月の当
S/magazine に浅草寺境内にある松尾芭蕉の句碑「観音の いらか見やりつ 花の雲」と、松尾芭蕉の句の「花の雲 鐘は上野か 浅草か」にふれております。

そして弁天堂の右手に時代を感じさせる鐘楼があり、上野東叡山寛永寺と並び称される有名な江戸時代からの鐘が現存します。と紹介しました。

この上野の鐘楼を私は実際に目にしたことはありませんでしたが、桜も終った4月の下旬に、ツツジの見事な根津神社から少し歩を延ばした精養軒の入口に、全く偶然にそれを見つけました。形態は浅草と同じですが、周囲に人影もなく孤高の佇まいでした。
 

 
浅草の鐘楼 上野の鐘楼

それ以来、不思議に思いますに浅草と上野との「地の縁」と云うものを深く感じております。


 
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浅草散歩みち
 今月の浅草散歩みちは、浅草に行き往う人々を観察してとルポいたしました。
しかし、今は桜の時季ですので、先に浅草寺境内にある松尾芭蕉の句碑にふれてみます。

 二天門前の通りから浅草寺境内に入ると、左手に小山があり朱の建物の弁天堂があります。
その階段口に「観音の いらか見やりつ 花の雲」の句碑があります。
風雪にさらさせたのか文字と芭蕉の図はかなり判読しがたい様子です。そこから石段が続き、弁天堂の右手に時代を感じさせる鐘楼があり、上野東叡山寛永寺と並び称される有名な江戸時代からの鐘が現存します。        
    

また、桜の季節として
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」の句がありますが、ガイドブックではこの時代、江戸時代の貞亨(じょうきょう)3年に芭蕉が深川の草庵で病いで床に臥していたときの作とのことで、深川芭蕉庵から浅草の観音様の屋根が望めたとあります。

それは花曇りの空に鐘の音が聞こえてくる、あれば上野の寛永寺の鐘か、はたまた浅草寺の鐘だろうか。
花曇りとは、桜の花が一面に咲き連なっている様子を雲に見立てていう語。(季語)とあります。この季語には私は優美さと、心が浮き立つ思いにかられます。

さて浅草に行き交う人に話を移します。お天気のよい休日だけですが、地下鉄銀座線の出口よりスカイツリーへの出発点とも云える隅田川にかかる吾妻橋のたもとに、大変気になる男の人がいます。           
  
  

ハーモニカをふき発砲スチロールの空箱をドラム替りにたたき、ナツメロを演奏しています。別に大道芸人と云うものではなく、ご祝儀をもらうような意識もなさそうです。私は幼い頃随分ハーモニカを練習した記憶がありますが、この人はかなりの技で「勝手連」での自己主張、自己表現しているだと思っています。

そこから雷門通りをめざしますが、この近辺では有名な浅草ビューホテルで結婚式をあげた新郎新婦の単独の記念パレードらしきものに出会いました。 


人力車と云えばこの浅草の名物の乗りものです。1人乗り、2人―3人乗りがあり、域内の名所やまちなかをガイド付で周遊します。料金は2人乗り30分9,000円とあります。駅周辺、雷門近くなど客引きも盛んです。 
ユーモラスを感じたのは、まちなかでハッピを着た若い人2人を乗せてベテランガイドしている風景で要は研修中なのだと思いました。
 

4月4日(土)隅田川きもの園遊会を待つまでもなく、着物姿の若い女性も散見されました。境内ではそれらの女性にアプローチして一緒にカメラにおさまる外国人旅行者もいて、小さな国際親善の「おもてなし」の良さを感じました。
  

昔より花のお江戸の中心の繁華街として知られて来たまちですが、時代の変化に乗れず変わらないお店も人もいます。まち角にかなり大きさの古着屋があり、その古着の山に埋もれている店主がいます。
また、夕方5時頃に店じまいのための準備する老いた人の動作をみていて、今日は何か売れたのかしら?と考えてしまいます。昔ながらの場所で時代に遅れた商いをしていてただ年齢を重ねていくかの様子に、何か悲哀のようなものを感じるものがあります。

 

一方時代を摑んで繁盛している店に花月堂と云う1個200円でメロンパンを売る店があります。いつも30−50名位の人の長蛇の列です。呼び込みと交通整理をするハッピの人が英語で外国人の人にもアプローチしていて、流石に国際観光地だと思いました。浅草寺境内では、なつかしい風景がありました。観光ガイドの黄色の小旗、見学者の胸にワッペンそして老若男女の人たちです。ガイドさんの「今から1時間後の午後4時に必ずバスに戻って下さい。との声に久しくバス旅行もしてないことに気づきました。        「次回以降に続く」

 



 
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浅草散歩みち
来日の外国人の方は浅草といえば浅草寺だとして、私がそこに立ち寄るたび、大変な人が参詣や参拝しています。皆さんはそれを終えると、観光コースとして東京スカイツリーに移動します。今回はそれらの一般的なコースを避けて、その昔東京随一の繁華街で大衆芸能の演芸視点で散策してルポいたします。
 
ある日、日本最古の遊園地(開園161周年)「浅草花やしき」の前で、浅草花柳界の「芸者の踊り」や「封間の芸」を上演!お座敷の雰囲気をお楽しみ下さい。とのチラシを受取りました。















古い話しになりますが、私が今から30余年前に、中小企業経営者20人程の勉強会に参加しておりまして、メンバーのある有力者から夜のお誘いを受け、向島の座敷で芸者遊びを体験しました。私にとりましては、初めての体験で、また大変高額の費用でしたが、今から思えばよき一時(ひととき)で社会勉強にもなりましたし、その記憶が鮮やかです。当日は、私として初めての入園で、演芸場の花やしき座もかなりレトロでした。
 

会場はデートの若いアベックの人も多く、100名程度の座席でした。ガイドでは地方(芸者の踊り)は浅草紫紗、立方(囃子)浅草あづは、幇間(太鼓持ち、男芸者)桜川七助とありました。3人は流行に場慣れしていて、芸そのものも進行もスムーズです。
 
お座敷遊びの解説や夫々の役割の説明、そして会場の若い人を檀上にしての今で云うゲームなど大いに盛り上がりました。
 
最後に「質問ありますか?」とのことで、隣席の若い女性が「芸者さんになるには?」と挙手した回答は「志願すれば、誰でも」とのことで変に納得しつつ、1時間程で会場を後にしました。

私の知る浅草の繁華街と云えば「六区」だと承知していました。今はかなり整備されビルやマンションが立ち並び、店舗もその1階で営業しています。

  


前記の通り今回は演芸場をテーマとしますので、一周りしてみます。浅草唯一の落語定席「浅草演芸場ホール」は浅草六区通りの突き当りにあります。歩行者や人力車による観光客も多く、ここはカメラスポットで歩を止めて撮影に余念がありません。昭和39年から続く浅草笑いの伝統を伺わせるホール前は、本日出演する落語家ののぼり旗がはためいて見立ちます。建物を同じくするホールの4階には、平成12年誕生の漫才でお笑い文化の一角を担う「東洋館」があります。

   
  
この辺りは大道芸人のパフォーマンスもよく散見され、寒空の下、萩本欽一やビートたけしなどを当地浅草で生み出した地域とのことで、いつかは自分もとの心意気で熱演していました。また、私がもっとも驚かされたのは高下駄らしきものを履く人間顔離れした大道芸人の出現でした。よくよく顔をみましたが、性別も分からず全く今でも記憶が鮮やかです。
   
 

ガイドブックの地図を頼りに「奥山おまいりみち」へ戻り、大衆演劇の「浅草木馬館」に着きます。ショーウィンドに木馬の像があり、建物の雰囲気として地方を巡回する大衆演劇団を想像します。入口周辺には贔屓筋から贈られた「祝いの花」が沢山あり、年令のいった女性達が反対側の脇の椅子に座っていました。役者の帰りを待つファンなのでしょうか。
 
今回の最後は台東区の浅草公会堂です。ガイドでは1977(昭和52)年にこけら落としが行われたとあります。毎年1月に新春浅草歌舞伎が開催される他、浅草芸能大賞、漫才大会などの会場になるとのことです。
表面玄関前には「スターの広場」には区が大衆芸能の振興に貢献した芸能人の功績をたたえ、その業績を後世に伝えるべく、その芸能人のサインと手形が銘鈑としてはめ込まれております。前にふれた相当昔のお座敷遊びの折に見せてもらった封間の桜川ぴん助、私が落語界で大好きであった古今亭志ん朝師匠のもあり、なつかしくしばしながめておりました。          「次回以降に続く」
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四季折々
正月2日、箱根駅伝の往路をTV観戦を終えてから、午後2時過ぎに外出しました。昨年末、諸々整理しておきたい雑事が残り、処理しておきたくてしばし休みでしたが出勤しておりました。それ故に正月を迎え、気持ちに多少とも余裕が生じ、日差しに誘われ墨田川テラス(河沿いの整備された遊歩道)を散歩することにしました。

昨年9月末に都心に転居し、これまでの1.5時間の通勤時間がおおよそ4分の1となり、時間の余裕とからだの負担が軽くなった分だけどうしても運動不足感が否めません。これに限らずいずれもそうでしょうが、一方が良ければ、もう一方が…経験して初めて分かることなのでしょう。







吾妻橋のたもとは地下鉄浅草駅からスカイツリーへの観光のスタート地点で、カメラスポットが絶妙です。そこは大変な人だかりで混雑しており、特に外国人が目立ちます。ほとんどの人が橋を渡りスカイツリーへの道をめざします。
新春の日差しはいつになく穏やかで温かく、川面も静かできれいです。転居してこれまで隅田川の上流の両岸をウオッチングして来ましたが、今日は逆に川を下った隅田川テラスを行くことにしました。地図も持たず当地はこれまで親しんで来たわけではありませんでしたが、ファジー感覚で歩を進めることにしました。 







右手に隅田川、左手に首都高速道路6号向島線がありますが、正月休みですので通行の騒音もありません。吾妻橋を背にテラスを行きますと河岸に池があります。






ガイドのサイン板には池の水は、都営地下鉄浅草線施設からの湧水を利用しているとしています。「地下鉄工事は水との闘いだ」とのことを聞いたことを思い出しました。
テラスは閑散としており、ときたまマラソンランナーを見かける程度でした。






吾妻橋から駒形橋、厩橋、蔵前橋を経て両国をめざしました。そのテラス途中には河岸に沿って水路が設けてあり、なかには川の水位による水の流入がはかられ、​​​また干上がったときには手押しポンプでの揚水を働きかけるサイン板と装置があり試してみましたが、上手く作動して水が勢いよく出て来ました。








国技館の大きく青い屋根が見えたところでテラスを離れ、うろ覚えの旧安田庭園を訪れました。
正月休みで…と案じていましたが、幸いなことに開園しておりました。ガイドのボードによりますと安政年間に隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備。明治22年に安田善治郎が所有、大正11年、彼の遺志にもとづいて東京市に寄贈。
大正12年、関東大震災でほとんど旧態を失い、その後復元、昭和2年市民の庭園として開園。昭和42年に東京都から墨田区に移管、現在は同区が管理するとあります。私も昨年秋から墨田区の区民になりましたから、これまでと違った近親感で園を回り歩くことにしました。






園内は人影はまばらで静まり返っております。小島の浮かぶ池から、ここでも東京スカイツリーが正面に位置しています。






水辺に遊ぶ鳥たちも数多く、日陰の部分には氷が張っております。






この池はかっては隅田川の水を取り入れて隅田川の干満を利用しての眺めの変化を鑑賞する庭園とのことですが、現在は園北側の地下貯水槽を利用してのポンプアップにて、人口的な潮入がなされているとあります。





散策路もきれいに整備され、ほとんどが平地ですので歩きやすく、植物も静寂のなかで息づいています。ほどほどの湿度が所々にある石灯籠に苔を生み、日本庭園の趣きを風情あるものにしております。







歩き疲れたのでしばし休憩を入れ、11日からの大相撲初場所を控えた国技館前を通りJR両国駅から帰途につきました。





 
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