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アントレプレナー45人の「私が起業・独立を決意した日」
東京の起業家45人による事業誕生のドキュメント集
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「ロマンと算盤と」私の120ヶ月
1978年9月から1988年9月までの10年間の塩原勝美による事業の軌跡
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あの日 あの頃

1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





暑中御見舞申しあげます  
             1984年(昭和59年)8月

相場の世界の格言に「休むも相場」とあり、むやみやたらに相場を張る愚を戒めております。

戦史において心ある将とは、間断ない戦場においても時には兵馬を休め、心静かに陣容の整備と戦略を再度練り、来るべき時に備える程の余裕の人と伺い知ります。

されど想いは常に前向きに―――。今日この頃の心境です。

厳しい暑さが続きます。皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げ、暑中御見舞と致します。




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あの日あの頃

1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





出逢い  
             1983年(昭和58年)7月


毎日さまざまの機会を得て、新しい方々と出逢い、そして薫陶を受けられる自分を幸せ者と思っております。

私を含め経営者はとかく「俺でなければ………」と云う自負心の裏面には、どう気をつけていても独善的になり勝ちです。ですから新たに出逢ったこれらの方々との交誼を通して「世の中はそうじゃないよ」と学べること、「何ごとも他を尊重する姿勢がなければ進展なし」と知ることなど、出逢いが全ての基と受けとめています。

梅雨あけは15日頃とのこと。人すべからく善である――そのように出逢った方々に印象づけられる様に自分も努めていかねばと思っています。

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あの日あの頃

1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





社員を幸せに  
             1987年(昭和62年)6月


1971年(昭和46年)の創業時より、事業経営で心掛けて来たことのひとつにお得意様との直(じか)取引きがあります。

創意工夫もなしに利幅の決められた同業者間の仲間・下請け仕事は、事業経営のメカニズムとしては容易ですが、あえて「社員を幸せにするには、これらの仕事に甘んじない」ことを念頭に励んでまいりました。

思い起こしても何んらバックボーンを持たない小さな企業が、今日(こんにち)の「高付加価値力」「企画提案力」を企業パワーとするまでの理想を追った道程は決して平らかではありませんでした。

しかし、現在若い社員を中心に企業人としてのプライドを持って「価値ある製品をお客様のために創り出す」と云う経営理念の実践に励む姿に、「下請けの仕事では社員の幸せの実現はおぼつかない・・・」との初志を貫いて来られた幸運と喜びを、6月の風の中に静かに感じさせられます。

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あの日あの頃

1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





未だ二分咲き  
             1986年(昭和61年)5月


百花繚乱の季節を迎えました。
これらの日々に夜遅くまで業務遂行する社員の姿に、リーダーとして早くこの会社を良いポジションに置くべく、万全を期さねばと責任を感じております。

企業活動は突き詰めれば、他社に「勝ち優る」ことだと思いますし、共に歩む真剣で効果の宿る日の継続が、必ずや目指すものを掌中にする前進の一歩なのだと確信しております。

昨年の創立15周年の折に「ここまで来れば七分咲き」と友人が弊社を評しましたが、企業の実勢を謙虚に反省してみれば、未だ二分咲きの感を拭えません。

なによりも好きな季節でありながら、一所懸命(ひとところで力の限りを尽す)でなし、一生懸命の思いにかられる今日この頃です。



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あの日あの頃

1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





日々新たなり  
             1987年(昭和62年)4月

梅も散り、沈丁花の香りも薄れ、桜の季節の4月、弊社は新たな営業年度(第17期)に入りました。本年は新入社員5名を迎え、拡印刷を柱とする企業の再構築を営業方針とし、積極的に2・5次産業としての物づくりに励んでまいります。

世の流れは「紙農工商」。製造業より情報、カネを動かす第3次産業企業の利益が大の時代となり、誰しも財テクに興味を示します。しかしながら弊社は、これらの風潮を潔しとせず、「価値ある製品をお客様のために創り出す」と云う経理理念をなお一層堅持し、人材・教育・開発のそれぞれの投資に努め、より安定度の高い企業づくりに真摯に取組んでまいります。

生き残る、勝ち優る企業としての正念場の360余日、意識を駆り立てて歩を進めてまいります。相変らずのご支援、ご高配よろしくお願い申し上げます。

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1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





「あゝ上野駅」  
             1981年(昭和56年)3月

厳しい寒さであればあるほど、なぜか故郷のことが思い出されてなりません。

3月の卒業式、そしてその後の就職シーズンになると、井沢八郎の「あゝ上野駅」をふいに口ずさむことがあります。

♪どこかに故郷の薫りをのせて

入る列車のなつかしさ

(中略)

♪くじけちゃならない人生が

あの日ここから始まった

一抹の不安と、背を押され駆り立てられるように上京した日が、今ではなつかしく思い出されます。本年は日本プリンティング・アカデミー(JPA)の卒業生を新入社員として迎えます。歓迎会にはこの歌をと、思ったりしています。

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あの日あの頃

1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





社員への回覧板  
             1983年(昭和58年)2月

私が営業活動をしていて、お客様のところで嫌だなーと思うことがあります。それは面と向かって担当者以外の方に挨拶をしても返礼が頂けず、無視された時です。

そのような折に、私を含め弊社に本当の実力と魅力が無いのだなーと痛感します。

ですからより精進して担当者周辺の人からも信頼と心からの笑顔を向けられるようにならねばと思います。翻って、私たちが弊社に協力会社(下請けと呼ぶのはやめよう)の人が来社の折の、夫々の対応をもう一度振返ってみる必要があると思います。

事業会社として力をつけること。心に余裕を持って対応すること。お互いに人間性豊かなパートナー・シップを構築し、持続したいものです。                
                  社 長

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1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





終わり良ければ・・・・  
             1983年(昭和58年)12月

本年も余すところ僅かとなりました。私にとりまして今年はここ数年来の中で、いつになく充実の一年であったと思われます。それはとりもなおさず弊社にとりましても将来の会社の指針を明確に出来たことになり、少し肩の荷を軽くできました。あとはそれにむかって邁進するのみの昨今です。

時代も変わり「二兎を追えぬ者、一兎をも得ず」の世の中。肉体も精神も全て「動」で終始した歳月と感慨ひとしおです。

これらの中において、相変わらずのお得意様のご支援、ご愛顧、友人等のご交誼、社員の真摯な姿勢、家族の健康。いずれも恙無くありがたいことだと思わずにおれません。

大晦日までの日々、「終わり良ければ・・・・・・」と努めてまいりたく存じます。

 

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時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





心を伝える  
             1983年(昭和58年)11月

弊社は、昭和60年には創立15周年を迎えます。この過ぎ去りし日々のよぎる思いを、反省、自戒を含めて月別カレンダーに刷込み、皆様のお手許にお送りしてから早や6年目に入りました。

創業当時、今から思えば何ら苦もないことで夜を徹したこと、新規顧客開拓の炎々たる夏の日、そして冬の風の厳しさ。どれ1つとっても、今日の弊社の基礎になっていることに確固たるものがあります。

これら一連の事柄を源泉とした「誠実であること」、「努力をおこたらぬこと」等々の私の経営姿勢を、業務繁忙のため増員として入社して来た社員に、正しく伝えることが大切だと思っています。社員の声に耳を傾け、経営者の心を伝える、この所作を折りにふれさりげなくできたら、すばらしいことだと思わずにおれません。


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あの日あの頃

1971年 (昭和46年) に企画・デザイン・印刷・広告の現在のコミュニケーション・メディア事業部 (旧株式会社ナショナルプレス)を創業。それ以来根っからの「仕事人間」と自認する私自身が、人生の朱夏というべき30代に身も心も限りなく燃えた感のある10年間の日付けの記された私と企業の心象風景とも言える記録があります。この記録は小冊子 私の120ヵ月「ロマンと算盤と」に纏められております。
時代の変革と共にこんにちの事業モデルが大きく変化している現在でも、この頃に身をもって学んだこと、感じたことが私の経営への姿勢の根幹になっています。過ぎ去りし「あの日あの頃」に何を思い、考えていたかの心象風景です。





May I help you?  
             1980年(昭和55年)10月

2ヶ月前より社員の発案で、毎週火曜日午後6時半より、5階会議室にて英会話教室を開校し、私も出席しております。

社員の半数以上が自費で業務終了後、またはその合い間に1時間半程の時間を笑いと冷汗の中で受講しております。

全員が「学んで時に之を習う また喜ばしからずや」の心境には程遠い状態ですが、日常業務に全力を出し尽した後の一刻を自費にても一から学ぼうとする姿勢に、会社発展のパワーが秘められ、唯々頭の下がる思いがします。

道で困った外国人に出会ったら、May I help youと、勇気と実力?とをもってスピーチ出来る夢を描いて、今週も出席します。


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